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​峯公園紹介

湯島の頂上にある「峯公園」をご紹介します。

湯島の標高は約100メートルと低く、山頂部が平地となっている地形を利用して古くから大根が栽培されています。

​農地の中央付近に位置する峯公園は展望台や様々な史跡などが集中しており、観光スポットとして知られています。

​峯公園への行き方

定期船乗り場から峯公園までの​​案内動画です。

​公園施設・観光スポット

展望台

公園中央にある2階建ての展望台です。

綺麗な綺麗なベンチがありますのでゆっくり休憩できます。

​2階からは有明海を見渡せる絶景で雲仙・普賢岳や天気が良いと熊本市の金峰山や阿蘇まで見渡せます。

バイオトイ

男女別の公衆トイレです。

微生物浄化を利用した完全独立トイレです。

談合嶋之碑

説明看板

「談合島とは湯島の別名である。寛永14年10月25日有馬に変が起こるや11月1日信徒代表大江源右ヱ門は大矢野に至り益田四郎時貞を救主に仰ぎ君主の礼を以て迎えた。

四郎は森宗意等に首脳部50余人と共にこの島に上陸し戦略の秘策を談合した。又天草の各地の信徒幹部は、たくみに潮流の干満を利用して集まり談合したり、武器の製造をした。世にこの島を談合島と呼ぶ所以である。

​平成7年12月吉日」

​遠見塚の跡

説明看板

「寛永年間天草四郎時貞が一揆を起こそうとするにあたり高杢天草の鍛治職人28人をこの島に集め槍、長刀等を作られるのに槌おとが外部に漏れるのを恐れ島の最高所に横9尺高さ2丈に土を築き上げその上に番屋を作り番人をおいて四方より来る船を見張らせたり島原天草方面からの連絡を受けたといわれ、300有余年を経過した今日においては何等のあとかたも見ることが出来ずただ当時を偲ぶだけであるが地形上からこのあたりではないかといわれている。

平成7年12月吉日

上天草市教育委員会」

​森慈秀先生​頌徳碑

説明看板無し

​湯島出身の偉人森慈秀氏を称える碑と思われる​碑。森慈秀氏は熊本県議会議員、大矢野町長を歴任して天草五橋の架橋に尽力した人物である。

談合嶋之碑について​

説明看板

「当碑の建立は、昭和28年12月28日であり、旧五ヶ町村合併による大矢野町誕生の1年前の「湯島村」と称する最後の歳の建立である。

建立者は当時湯島出身の元大矢野町長の森慈秀翁である。慈秀翁といえば天草架橋実現に半生を捧げられた先哲である。この他に色々と行政などに尽力されたご功績は各位ご存じのとおりです。

碑の正面題字「談合嶋之碑」の筆跡は徳富蘇峯先生の直筆である。蘇峯先生は弟盧花と共に熊本が生んだ偉大な歴史、評論、小説家で、明治、大正、昭和時代の文化関係重鎮として活躍された先生であるます。

碑文は慈秀翁の書きおろしで談合嶋の名称の謂れから始まり、天草島原の乱時の島原、天草両郡の領主の圧政、一揆の発生の理由、天草四郎の殉教戦での善戦、原城での三万八千信徒殉教者への追悼文からこの碑文は構成されている。最後に慈秀翁の詩が刻まれている。

「談合し人をしのんで たたずめば

かすかにむせぶ みねの松風  慈秀」

平成9年4月30日記す。

大矢野町観光商工課」

​※写真掲載碑文については経年劣化のため判読困難

切支丹(カマボコ形)墓碑​

説明看板

指定文化財(有形文化財)

「この碑は天草島原の戦い以前にこの地に入り込み客死したキリスト教徒の墓碑といわれており、碑面には十字形が認められる(※現在不明)。

​昭和48年5月大松墓地(港の近く)より移転したものである。

平成7年12月吉日

上天草市教育委員会」

涼泉院殿月江宗白居士塚​

説明看板

指定文化財(有形文化財)

「この碑は有馬家代13代城主晴信の実弟純實の碑である。純實は兄晴信の怒りをかい、この地に流された後殺されたと伝えられている。

​昭和48年5月大松墓地(港の近く)より移転したものである。

平成7年12月吉日

上天草市教育委員会」

​公園整備活動
​この公園は島民有志(湯島・夢の島づくり会青年部)が熊本県の助成事業により周辺の除草、設備維持等を行なっています。

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